パラリンピックが始まったこともあり、家族で「障がい」について話し合いました。
「話し合い」と言っても、夕飯時の会話の中でなんとなく「障がい」がいつから「ひらがな」になったか?という話になり、
さっそくスマホで検索すると…
・1990年代から新聞などで「障がい」とひらがな表記されるようになったらしい
・2000年頃から地方自治体の公文書などで「障がい」とひらがな表記を推進するようになったことで、現在は「ひらがな表記」が浸透してきている
ということ。
その話の流れで「障がい」についての話が始まり…
夫がこんな質問をしました。
「パラリンピックが始まって、車いす種目はたくさんあるけど、車いすの人は何が「障がい」だと思う?」
その質問に対して
息子 「「障がい」は人に対して呼ぶものじゃないから…」
娘 「足とか腰とか背骨とか…下半身」
私 「人によって得意なこと不得意なことがあるから、車いす=障がいとは言えないんじゃない?」
けっこういいことを言ったつもりの私。
でも、娘と息子からは「こういう場で質問されたら一般的な答えから言うもんだと突っ込まれました」
ま、答A,答Bと出たので、答Cとしては、いい回答だったらしいけど…
結局娘も「他人が「障がい」って決めつけるものじゃないよね? 問題は本人がどう思っているかということ」
という意見。
「うん、そうだよね」
そこで、次にまたこんな質問。
夫 「じゃ、ちょっと話は変わるけど、陸上のトラック競技で障害走とかあるけどその場合の「障害」って何?」
それについては私たち三人とも「ハードル」とか「水たまり(水濠)」とか…で同意見。
息子が、「ほら、やっぱり「障がい」って人のことじゃないんだよ」と一言。
「たしかに~~~~~!!」
夫 「そうだよね。車いすに乗っている人にとって「障がい」って足とか下半身とかのことじゃなく「大きな段差」や「細い道」のことなんだよね…。 別にこの考え方を人に押し付けるつもりはないけど、でもそんな風に考えてみると「障がい」に対する考え方が変わるんじゃないかな?」
確かに、家の中や外出先で「障がい」と思って見渡した時、体の不自由な人に目を留めるわけでなく、段差や点字ブロックの上の自転車など、そんなものが目に留まるようになったら、社会が少しは良くなるかな?と考えました。
それに「障がい」って周りの人がちょっと力を貸せば、乗り越えられるんだな、とも…。
この世には、当たり前のように生活しているけど不便なもの・こと、結構あるんですね。
すでに、それらの問題について考えている人はたくさんいると思いますが、私たちもそんなことを考えた夜でした。
そして少しでも改善できたら…と思う今日この頃です。
わたしのひとりごとでした。